『霧走町 流氷に眠る』の主人公は、東京から来た刑事です。 この刑事には、名前も顔も経歴も出てきません。 台詞が画面に出るときも、話し手の欄にはただ「刑事」とだけ表示されます。
この刑事は、港の人間関係をまったく知りません。 誰の言葉が町で重いのかも、誰と誰が古い付き合いなのかも知らない。 その知らなさを隠さずに、そのままゲームの始まりの位置にしました。
ゲームは、宿「潮見荘」に着いて、荷物を下ろしたところから始まります。 最初の地の文は、こうです。
流氷の軋む音がする。東京より、空がずっと低い。 霧走町。漁協組合長・戸倉誠一が防波堤で死んだ。署は事故と見ている。
帳場にいるのは、宿の主人の源三で、ストーブのそばで新聞を広げています。
「東京の刑事さんかい。部屋は二階の奥だよ。……騒がしい冬になっちまったねえ」
事件について、刑事が最初の時点で知っていることは、これだけです。 漁協の組合長が、防波堤で死んだこと。 署が事故と見ていること。 駐在の堂本が、刑事が着いたら話を聞きたがっていること。
到着のところには、短い読む場面を入れています。 事件の話より先に、よそから来た刑事が、町の冬のやり方を一つ教わる場面です。
「そこに置いときなさい。濡れたまま部屋へ持っていくと、朝まで乾かん」
源三は、刑事の濡れた靴を見て、古新聞を差し出します。 窓の外の白い平らなものが、雪の空き地ではなく海だと分かるのは、それがゆっくり動いたときです。
戸の向こうから、硬いものを擦り合わせるような低い音がする。 それが流氷の音だと、源三が何でもないことのように教えます。
「風が動かせばな。最初は目が覚める。何日かおれば、鳴らん夜の方が気になる」
東京から来た刑事は、この音のことも知らなかった。 町の人にとって当たり前のことを、一つずつ教わるところから始まる。 それが、この作品の主人公の位置です。
同じ場面に、駐在の堂本が入ってきます。 刑事の到着を待っていたはずの男ですが、すぐには調書を広げません。
「ええ。ここでは、まず身体を温めてください。話は、落ち着いてから」
早く来てほしかったはずの男が、そう言う。 手帳を開く前に、どんな相手か確かめようとしているのかもしれない。 刑事の側からは、そうとしか読めません。
町の人から見れば、東京の刑事も一人のよそ者です。 港へ行けば、網を繕う漁師にこう言われます。
「……よそ者が、何の用だ」
この刑事は、初めから町に信頼されている名探偵ではありません。 話を聞かせてもらう側として、町に入っていきます。
駐在所で調書を見せてもらうと、堂本はこう話します。
「二月十五日、死亡推定は20時から22時。後頭部の挫傷で、係船柱に血痕がありました」 「署は酔って転んだ事故だと言うとりますが……わたしは、どうも腑に落ちんのです」
所轄の署の見立ては、酔って転んだ事故。 地元の駐在の堂本は、それに腑に落ちていない。 着いたばかりの刑事は、そのどちらが正しいかをまだ知りません。
堂本に事件と関係のない雑談を振ると、署とこの町の距離も見えてきます。
「四十キロ先の署から見れば、ここは地図の端です。それだけの話で」 「応援? 事故で片付いた案件に、来るわけがありませんよ」
最初の問いは、「本当に事故なのか」。 それを自分で確かめるために、刑事は流氷の町を歩いて回ることになります。
序盤に行けるのは、港と船小屋、食堂「番屋」、宿「潮見荘」、駐在所、防波堤、岬の高台の六か所です。 最初から全部に行けて、鍵のかかった場所はありません。 駐在所へ直行してもいいし、先に港を見てもいいし、現場の防波堤へ行ってもいい。
順番を決めなかったのは、刑事が町を知らないからです。 知らない町で、どこの誰から当たるかを自分で決めるのも、捜査のうちです。 決まった順路を一本だけたどらせると、主人公が先に答えを知っているように見えてしまう。
防波堤へ行くと、地の文が現場を描きます。
戸倉誠一が倒れていたのは、この係船柱の根元だ。雪はもう、ずいぶん踏み荒らされている。
ここで、どこの何を見るかを言わずに柱を調べようとすると、こう返ってきます。
係船柱は防波堤に沿って何本も並んでいる。漫然と眺めても、どれも同じ鉄の塊だ。……どの柱の、何を見る。
何をどう見るかを決めないと、雪の上で目は滑るばかりです。 人に話を聞くときと同じように、現場でも刑事は自分で問いを立てる必要があります。
現場で自分の目で見たことと、人から聞いたこと。 このゲームでは、その二つを分けて集めます。 手帳には、誰から、どこで聞いた話かが残り、現場で見たことは見たこととして残る。 その二つが合わないときに、次に誰かへ聞くことが生まれます。
手帳と現場の地の文は、刑事が知っていることの記録です。 刑事が推測したことは、手帳に勝手には書かれません。 推測は、遊ぶ側の頭の中にだけあって、それを一文にして相手にぶつけたときに初めて捜査が動きます。 事実と推測を画面の上で混ぜないことも、町を知らない刑事という位置を守るための決まりです。
主人公に名前と顔を付けなかったのは、遊ぶ側が入り込む余地を残すためだけではありません。 名前と経歴があると、その刑事ならこう聞くはずだ、という正解の口調ができてしまいます。 入力欄に打つ一文は、遊ぶ人それぞれの口調でいい。 丁寧に聞いても、ぶっきらぼうに聞いても、同じ話題なら同じ証言に届きます。
ただし、言い方が相手の反応を変えることはあります。 はぐらかされている間は、下手に出て聞けば柔らかく、強く迫れば硬く返ってくる。 証言の中身は変わらず、その人の構えだけが変わる。 東京から来た刑事がどう振る舞うかは、打つ一文で決まります。
到着の場面のように、聞き込みの合間には短い読む場面が入ります。 刑事が見たこと、町の人の手つき、茶を注ぐ音。 事件の手がかりではなく、町に少しずつ慣れていく時間です。
こうした場面は、条件が揃ったときに一度だけ出て、クリックで読み進めます。 読み終えると、また入力欄に戻ります。 質問するだけの時間にならないように、読む時間を挟んでいます。
初めから正解を知っている探偵なら、質問は答え合わせになります。 この作品の刑事は、そうではありません。 聞いて、返事を読んで、分からないことや引っかかったことを、もう一度聞く。
相手の話がよく分からないと、人物のほうから聞き返してきます。
「誰の話をしてる」 「いつの話だ」
その人に聞いても仕方ないことなら、別の人を当たれと言われます。 町を知らない刑事に、町の人が、次に当たる相手や場所を教える形です。 行き詰まったときの駐在の一言は、こうです。
「……手詰まりでしたら、手帳を見返してみては」
刑事が町を知らないのは、遊ぶ側も同じです。 主人公だけが何かを知っていて、画面の外で先回りする、ということは起きません。 主人公の知っていることは、画面で読んだことと、手帳に書かれていることだけです。
だから、刑事と同じ場所から、同じ順番で、町と事件を知っていけます。 宿の帳場で濡れた靴を脱ぎ、駐在の話を聞き、港で網を繕う漁師に声をかける。 町のことも、事件のことも、そこから少しずつ分かっていきます。
東京より、空がずっと低く、夜は流氷の音が続く町です。 その低い空の下で、町をまだ知らない刑事が、最初の一文を打ちます。
この町が気になったら、Steamのウィッシュリストに入れておいてもらえるとうれしいです。
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