はじめまして。 Studio To:NEMOで『在りし日のわたし達へ』のディレクターを務めております、大桐トウゴと申します。
このたび、GameWith Indieにて本作の開発レターを掲載しようと思います。
この場では情報発信だけでなく、この作品がどのように生まれ、どんな壁にぶつかり、どう形を変えてきたのかという「開発の歩みそのもの」を、少しディープな裏話も交えながらお届けしていきたいと考えています。
まずは、私たちが現在制作している作品の雰囲気を知っていただければ幸いです。
▼『在りし日のわたし達へ』最新PV - わたし達の生きた証を残す、ジュブナイルADV
本作で描きたいのは、世界の終わりそのものではなく、世界が終わりへ向かう中で「もっと大人になりたい」と願う少女の小さな一歩です。
舞台は、人々から忘れ去られた辺境の地「ヒンメルス・クレスト」。
畑を耕し、山羊を育て、温かな食卓を囲む。 そんな穏やかな日常の裏側で、世界の寿命――〈おわり〉が静かに迫っています。
そこで暮らすのが、記憶を失った少年・シンと、理想の「オトナ」を追いかける少女・エレナ。
ある日、エレナはシンに告げます。
「わたし、街へ行きたいんです!」
この小さな決断を境に、二人は「日常」の外へ、そしてエレナが憧れていた「理想」の先へと足を踏み入れていきます。
『在りし日のわたし達へ』は、そんな二人の時間を追体験しながら「わたし達の生きた証」を辿っていくジュブナイルADVです。
本作では、「読むこと」そのものをゲーム体験の中心に据えています。
その軸となるのが、「動の本編」と「静の手記」です。
◆動――物語を「体験する」
本編では会話だけでなく表情や仕草、演出、空間そのものを通して、登場人物たちの時間を描きます。
▼屋根裏を掃除するべく集まったシンとエレナ(背景の仕掛けにも注目です)
▼時間帯や場所によるライティングにもこだわっています
余談:背景の多さだけでなく、そこに暮らす人々の生活や時間を感じてもらえると嬉しいです。
文章を読むだけではなく、画面で起こる出来事を受け取りながら、物語を前へ進める「動」の読書体験を意識しています。
◆静――世界と人物を「読み解く」
▼ゲーム中で見つけた「軌跡」は、手記へと記録されていきます 手記では、本編から一度離れ、自分のペースで世界や人物を振り返ることができます。
▼人物の情報も物語の進行に応じて変化していきます
新しい情報が加わるたびに、主人公がその人物をどう見ているのか、その感情がどう変化していくのかまで追っていける。
――本編で「体験」し、手記で「読み解く」。
この二つを行き来することで、本作ならではのゲーム体験を作っています。
◆情報そのものをデザインする
この二軸を成立させるためにはシナリオだけでなく、
といった、情報の出し方そのものを設計しています。
「何を見せるか」だけでなく、「いつ知るか」「どこで立ち止まるか」「何を自分でつなぎ合わせるか」まで含めて、読む体験を設計する。
それが『在りし日のわたし達へ』のゲームデザインの根幹であり、プレイヤー自身の手で物語をつなぎ合わせて考察する余白を残すこと。
そこを、本作のコアとして試行錯誤を重ねています。
▼そんな本作はなんと…【価格無料】でリリース予定!
Steam在りし日のわたし達へ
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では、なぜ本作は「動の本編」と「静の手記」という二つの軸に分けたのでしょうか。
理由はシンプルで、物語を進めながら同時に深く考察してもらうことは難しいと感じたからです。
本編では会話や演出、キャラクターの仕草など、さまざまな情報が次々と流れていきます。
その瞬間に感じたことは強くても、物語を先へ進めていくうちに、「あの台詞にはどんな意味があったのか」「あの人物はなぜあんな反応をしたのか」をじっくり考える余裕がなくなってしまうことがあります。
だからこそ本作では、物語が進む「動」の時間とは別に、立ち止まって考えるための「静」の時間を用意しました。
本編で体験した出来事を、手記で振り返る。
そして、そこで得た情報をもとに、もう一度これまでの物語を考えてみる。
さらに手記の人物情報は、物語の進行に合わせて少しずつ更新されていきます。
つまり手記に残るのは、単なる「世界の設定」だけではありません。
主人公がその人物をどう捉えていたのか、そして物語を通してその認識がどう変わっていったのか。
そうした変化そのものも、プレイヤーが追っていけるようにしています。
本編では、キャラクターたちと一緒に時間を進みながら物語を「体験する」。
手記では、その時間を立ち止まって振り返り、自分なりに意味を「読み解く」。
進む時間と、振り返る時間。 感情で受け取る体験と、思考で読み直す体験。
物語を追うだけではなく、ふと立ち止まって「これはどういう意味だったんだろう」と考えたくなるADVを目指しました。
それが、『在りし日のわたし達へ』における「動」と「静」の定義です。
『在りし日のわたし達へ』の制作をスタートさせた頃、私は今ほどゲーム開発の解像度を高く持てていませんでした。
「こういう世界観を描きたい」「こんなキャラクターたちの物語を見せたい」 頭の中には、確かに強いイメージや情熱がありました。
▼『在りし日のわたし達へ』幻のモック版(身体がむず痒くなってきた…)
余談:エレナのデザインが今と当時(4年前)ではかなり違いますね。描きたいテーマは決まっていたものの、キャラクターの造形や本作そのものの体験性に頭を抱えていた頃だと思います。
けれど、それをいざ「ゲーム」という形に落とし込もうとした瞬間、想像をはるかに超える多くの壁に直面することになりました。
奇抜なゲーム性やシナリオであれば、それだけで面白いADVになるわけではない。 綺麗なイラストを用意すれば、それだけでプレイヤーが没入してくれるわけでもない。
ゲーム体験として昇華させるためには、シナリオの執筆以上に「体験のリズムや情報の受け渡し」を緻密に設計しなければならないということを、開発を通じて痛感させられました。
▼試行錯誤の中で、背景の制作手法も大きく変わりました(現在の背景)
改めて振り返ってみると、こうした失敗の積み重ねが、現在の『在りし日のわたし達へ』を作っています。
ここまで「動」と「静」、そして情報の配置についてお話ししてきました。
ですが、私たちが最終的に目指しているのは、こうした仕組みそのものを楽しんでもらうことではありません。
本編で出会った何気ない会話や仕草、手記に残された「軌跡」が、物語を進める中で少しずつ繋がっていく。
そして物語を読み終えたあとに、「あの場面は、そういうことだったのか」「あのときの言葉には、こんな気持ちがあったのか」と、もう一度「あの日々」を思い返してもらいたい。
ゲームの中には、登場人物たちの過ごした時間が「記録」として残ります。 けれど、プレイヤーの中に残るのは、そこで確かに感じた「記憶」です。
そして記事のタイトルにもある「成長」と「生長」。
「成長」は、人が経験を重ね、変化していくこと。 一方の「生長」は、植物などが根を張り、枝葉を広げ、時間をかけて育っていくことを表す言葉です。
人が「成長」していくように、その人が過ごした時間や想いも少しずつ積み重なっていく。
やがてそれは、一つの物語として「生長」していくのではないか。
人の成長と物語の生長。記録される日々と記憶に残る日々。
その先に、プレイヤー自身の中にも「在りし日」として少年少女たちの歩みが刻まれていく――
それこそが、『在りし日のわたし達へ』が「遊びながら読む」という体験の先で目指しているゴールです。
※追記
Steamニュースの方でも本作のこだわりについて書きました。
今回の記事とはまた別軸から切り込んだ内容となっているので興味のある方は是非。
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