前回のデータで触れた通り、『紅蜘蛛』シリーズには実キャラクター数で累計166人(延べ310人)という非常に多くの人物が登場します。
当然ながら最初から166人ものキャラクターが存在していたわけではなく、シリーズを重ねる中で増えていきました。
初めてノベルゲームを制作する際、最初に突き当たった壁は「そもそも、どうやってシナリオを書けばいいのか」という素朴な問題でした。
プロットの立て方も手探りの中、思いついたのが「頭の中のスタジオに、イメージに合うキャスト(香港映画に出演している実在の俳優)を配置してみる」ことでした。脳内スタジオに立たせたキャラクターたちにその場面のシチュエーションを教えると、彼らが自発的に動き出し、物語が自然と前へ進み始めたのです。「このやり方でいける」と手応えを得て、そのまま執筆を進めていきました。
166人という規模に膨らんでも口調や人格がブレず、明確に描き分け続けられたのは、この手法による大きな効能でした。
この「イマジナリーキャスト(脳内配役)」という手法は、あらかじめ用意した人物だけでなく、執筆途中で発生したキャラクターに対しても有効に機能します。
シナリオを書いていると、当初の予定にない「新しい登場人物」が画面上に突然現れることがあります。「この人はどういう人物なのか」を把握するため、まずはその場に馴染みそうな俳優を脳内で当てはめて話を動かしてみます。すると、そのキャスト特有の佇まいやセリフ回しを通して、キャラクターの立ち位置や性格が急速に固まっていきます。
また、キャスト選定そのものが展開の膠着を打破する鍵になることもあります。
ある場面で、配置したキャストのままでは会話や展開がどうしても動かなくなってしまったことがありました。そこで一旦テキストを巻き戻し、別の俳優へ配役し直してみたところ、まったく異なる展開が生まれ、スムーズにストーリーが動き出したのです。
脳内での配役変更が、そのまま滞っていた物語を動かす突破口になります。
ちなみに、制作応援版などに付属している設定資料集(紅蜘蛛クロニクル)は現時点で376ページにおよび、登場する166人のキャラクター設定が網羅されています。
これだけのページ数があると「あらかじめ緻密な設定資料を作り込んでから執筆に入ったのではないか」と思われがちですが、実際はまったく逆です。
これらの設定は書く前に準備したものではなく、シナリオを書いていくうちに判明した背景や言動を、後からまとめて「設定資料集」として集約したものです。
脳内スタジオでキャラクターを動かし、その言動を観察した結果を記録して図鑑にしたのがあの設定資料集です。
一般的には章ごとの詳細なプロットやフローチャートを作成してから執筆に入ることが多いようですが、私は詳細なプロットを作成したことがありません。
一作目の『紅蜘蛛』を制作した際、執筆の起点となったのは、「本編が始まるまでに何が起き、各人物がどう動いたか」という背景メモ(空行含め55行)だけでした。
【先代が亡くなったときの経緯】
順当にいけば狗頭が跡を継ぐはずだった。それを添明が阻止しようとして、永孝を後継者として推した。……(中略)……永孝は、狗頭が跡を継いだ場合、越児が引き続き紅花会の為に働き続けるであろうことについて複雑な気持ちを持っていた。それならば自分が跡を継ぎ、自分のために働いて欲しいと願った。
【今回の背景】
越児に殺害された刑事、劉劍明の兄・劉明華は、越児に対して恨みを持っていた。……(中略)……送りつけられた脅迫状を目にしたのは永孝だった。……(中略)……彼は越児にも護衛をつけたかったが、この予告のことを知らせずに越児に護衛をつけるのに何かいい手段はないか悩む。……(中略)……
——ここまでが前段。
このテキストに書かれているのは、「本編開始時点で誰がどういう思惑と対立関係を持っているか」という初期条件だけです。物語の結末や途中の具体的な分岐、展開の詳細は一切書かれていません。
本編はこの背景を起点に、「この状況下に置かれた登場人物たちはどう動くか」をシミュレーションするような形で構築されていきました。
誰のルートを作るのかは流石に決めていたものの、どこでどのように分岐させるかもあらかじめ決めず、「ここで分岐を作れそうだな」と思ったタイミングで選択肢を挟んでいきました。
主人公以外の出自や過去もほとんど把握していない状態からスタートしたため、執筆の過程で彼らが自ら過去を告白し始めた時には、作者である私自身が素で驚いていたほどです。
しかし、この完全なシミュレーション方式で進めた結果、一作目のとあるルートでは登場人物の動向に引きずられ、主人公がそのルートの相手と心中する結末に辿り着いてしまいました。流石にゲームの展開としてどうかと思い、何度か展開を巻き戻してやり直す羽目になりました。
二作目(『紅蜘蛛2』)の起点となる背景は、一作目の中である程度描かれていた為、背景メモ自体は作成しませんでした。その代わりに、2ルート分ほどのごく短いプロットを作成してみました。
しかし、いざ制作に入ると、脳内スタジオのキャストたちが最初からプロットとは全く異なるセリフを話し始め、ストーリーが完全に想定外の方向へ動き出してしまいました。プロットで誘導しようとしても役者たちが従わないため、結局プロットを作るのは早々に諦めることになりました。
代わりに執筆中に取っていた唯一のメモは、「その場面が香港のどのあたりで起きているか」という位置関係のメモでした。新しい舞台が出てくる度にGoogle Mapsを見ながら場所を決め、物語の展開に合わせてキャラクターたちの移動ルートだけを記録していたのです。
詳細な脚本やプロットを作らず、脳内の役者の佇まいやアドリブ的な掛け合いに任せてストーリーを立ち上げていくこのスタイルは、奇しくも実際の香港映画における撮影手法(詳細な脚本を用意せず、現場での役者の演技やノリで作品を作り上げていく手法)と非常に酷似しています。
香港ノワールを描くために編み出した個人の執筆スタイルが、結果的に本場の映画作りの現場と同じ熱量やアドリブ感を持っていたのは面白い一致でした。
「前提条件」と「キャラクター(イマジナリーキャスト)」さえ固定されていれば、登場人物たちは状況に応じて自発的に判断し、行動し始めます。脚本を最後まで書き上げてから開発に移るのではなく、シナリオ執筆、スクリプト入力、立ち絵やスチル制作をすべて同時に進めていくことで、映画的なライブ感と緊張感を保ったまま作品を完成させることができました。
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