前回の記事で、 ロボトミのゲームシステムをそのまま使わずに、あの面白さを再現するゲームを作りたかったと書きました。
では具体的に、私はロボトミの何がそんなに好きだったのか。
多分一番大きいのは、
『Lobotomy Corporation』の49日目みたいな状況を、もう一度遊びたかった
からだと思います。
画面の上で何か大変なことが起きている。
でも、その対応をしている間にも
画面の下では別の職員に指示を出さないといけない。
あれもそろそろ危ない。
こっちも放っておくとまずい。
でも今は手が足りない。
頭の片隅に、未処理の問題をいくつも抱えたまま
優先順位を考えて、指示を出していく。
そして、忙しさの中で一つ見落とすと
そこから状況が一気に崩れていく。
普段なら絶対にしないようなミスでも、
あの状況だとやってしまうんですよね。
職員を育てて、装備を整えて、
よし今回は上手く回せているなと思っていたのに、
ほんの少しの判断ミスから
育てた職員がだばーっと死んでしまう。
あの「やっちまった…」感が、私はすごく好きでした。
アクションゲームで敵を倒した時の爽快感とは、少し違う気がします。
正直、
「こんなの絶対無理だよ…!!」と思いながらやっている時が一番楽しいかもしれません。
49日の忙しさは本当に別格です。
一時停止は出来ないし、来る試練はランダムだし、調律者のルートすら定かではない。
その状況で常に最善の判断と、ミスのないプレイをしないと、
犠牲者0で乗り越えることは出来ない。
でも案外、
絶対無理と言いつつ案外出来るかも…?
という希望も感じるのです。
だからこそ、次は絶対に上手くやりたいと思える。
勿論49日以外も面白く、
最初は何が正解か分からないアブノーマリティも、
少しずつ反応を見て、危険な行動や正しい対処法を覚えていく。
職員の屍を積み上げて得た知識と経験が、
最終的には、死人を出さずに乗り越える糧となる。
そういう
「未知の相手を理解していく面白さ」と
「忙しさの中で判断し続ける緊張感」を両方持ったゲームを作りたかったんだと思います。
振り返ると、まだ細かい仕様は全然決まっていない頃から、
この部分だけはずっと変わっていませんでした。
次回は、そんなゲームを作りたいと思った時に、
ロボトミとは別のゲームとしてどう形にしようとしたのかを振り返ってみたいと思います。
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